例えばそれなりにはよく、騒がれていたように思う。彼は少年にとっての、クラスメートのひとりであった。
クラスといってもそうそう人がいたわけでもない。ひと学年にひとつずつ。すると三つの学年には三つということで、それが学校に属する子供のすべてであった。
とはいえ何も悪いことなどはなく、皆のんびりとして仲も良くあったし、教室にしろ校庭にしろ広々として使える。そうした環境の内において彼、は、少年にとってのクラスメートのひとりであった。
彼は素朴な友人であった。
騒がしすぎるということはなく大人しすぎるということもなく、また、少しばかりほど臆病であったようにも思う。しかし喜怒哀楽をはっきりとさせていて、からかえばすぐにでも睨んでみせたし、笑顔は優しかった。どんな表情にしろ整った顔をした友人でもあった。
それだからして、よく騒がれていた。
頭の回転はそこそこに良く、運動神経も結構なもので、特に体が柔らかい。体操選手にでもなれそうなほどだった。手先は器用で、声も良い。問題になろう欠点などはないようなものだ。その上に、素朴ながらにも綺麗な顔立ちをしている。
学校中が互いを知り合っているような日常にあって、彼は中でも特にそうして何とはなしに注目を集めていた。そして少年は友人のひとりとして、もう少しだけ深くに彼のことを知っていた。
行き帰りの道にて一緒になる。休み時間を過ごすメンバーの中にも顔を揃えているし、弁当も一緒に食べる。放課後をともに過ごすことも少なくはなかった。特別というわけではなくとも間違いなくして、親しくはあった。
そんな少年も含めて彼の友人たちは、だからこそもう少しだけ深く、彼の抱く事情を知っていたわけだ。
彼の家庭は幾らかの苦労を抱えていた。それがどれほどのものであるかが子供たちには解らなかったが、少なくとも何らかが抱えられているのは確かであろうと把握をする。
それはあくまでも暗黙の了解としてあった。若き彼らはあくまで詳細を知らされず、それが歯がゆくもあったが、そこに影があるというのならば彼の学生生活にまでそれを落としてはならないと考えた。そして彼自身にしても、決して表向きの弱みを見せようとはしないでいた。
田舎道の中に都会と比べては遊ぶための場所などなかったのだが、少年と彼と友人たちは長く、遅くまではしゃぎ合う良き関係でいた。そうしていることができた。
彼というのは調子に乗りがちなところのありながら、しかしそれでいて気の良い子供であった。周囲の人間を引っ張っていく力の持ち主だった。頼み事をされれば何にでも胸を張って任せろと言い、とはいえ身の程を知らぬ無茶をしすぎるわけでもない、明るくすっきりとしたところがあった。
少年を含む、友人たちをそのようにして判断させてきたのは彼自身である。だからこそ誰もが考えていたのだ。自分たちはともに育ち進んで、やがては皆が彼を確かに支えるものになるのだろうと。
彼を覆うような影があるというのであれば、彼はそれを自分自身によって背負い込もうとするに違いない。きっともう既にそうした覚悟をしている。ならば出来る限りにそれを支えるものとして、自分たちもまた彼の傍にあるべきなのだ。
少年達は考えていた。少年もまた当然のように例外ではなかった。それらは決して義務としての思考ではなく、少年達にそのようにして考えさせたのも、やはり彼自身なのであった。
彼の笑顔はそれはきらきらと輝いていた。少年にとってはまるで洗いたての白が優しい風に揺られているかのようにして、心地よかった。
少年はそんな彼の笑顔をただ好いていた。
やがて彼とそして少年は、同様に卒業を控える立場に至った。
とはいえ進路についてが話題にのぼり始めようというぐらいの時期で、互いに揃って自宅も近くあったもので、友人同士の付き合いに大きな変化のあったわけでもない。
段々と気温の上がってくる季節、舗装のない道の上、手を振る友人らとごくいつもの様に道を分かれて、帰路に並ぶのは少年と彼のみになった。たった二人の間にも話題は二転、三転と移り変わっていく。これもまた普段通りのことである。
昨日に見たテレビ番組の話、近ごろよく聴いている歌の話、引っ越して行ってしまった同級生の話、担任がふと口にした冗談の話、とにかく何かしらの流行りの話。いずれもすべては日常であった。
そんな中にあって少年は、ふと考えて、そしてどうにも気にかかったもので、思わず口から出してしまったのだ。卒業したらどうしようかと、そうしたことを。
少年にとっての先の進路というものは、まだ決して選択というようなほどでもなかった。家を出ようとでも思わなければ大掛かりな違いの生じうることもない。家族同士での雰囲気にしても何とはなしに進学ということで、せめてもう少し真面目に勉強をしておいたらどうだと言われる、未だにはその程度の流れに過ぎなかった。
立ち止まると彼は、少年が同じように立ち止まり互いの視線が重なるのを待ってから、改めてゆっくりと笑った。
それだからしてすぐに後悔をした。彼には彼としての事情があろうというのに。
勝手に言い出したままそうして勝手に戸惑っていると、彼の方は気を悪くした様子もなく、むしろ少年を安堵させようとでもするかの様にして微笑んでみせた。
彼らしくに明るい笑顔であった。
夕焼けの中に晴れ晴れとして、眩しくあった。
素朴ながらにも整った顔立ちは、その白い肌に浮かべる穏やか笑み顔によって、なお際立って見られる。とても心地の良い『表情』だった。誰もが見とれようほどにして『魅せて』いるのだ。
まるで柔らかな風によって撫でられていくかのようでもあった。少年の心は度々それに攫われてきた。
そのときもまた、例外ではない。
そんな少年に、彼は話をした。
『まだ秘密』なのだということを前置きして、それから話した。このとき少年はほんの少しばかりに、彼にとっての特別へ至ったわけだ。
しかしながらその内容が少年自身にとってはあまりのものであったがために、その時はただ聞き取り噛み砕くことにに必死で、後にもそれを意識する余裕などは持ち得なかった。夕陽を背にしたままで彼は言った。
東京へ行くつもりなのだと、こともなげに言ってのけた。
元より手先の器用さと体の柔らかさがあるので、それらを磨き修行を積んで、やがては華やかな舞台へ立つつもりであるのだと。
少年は思わずにどうして、と問うてしまった。決して彼の夢を縛るためではなかった。ただ少年は言葉に放たずも、彼との関わりが傍にて永久にあるものだと信じていたかったのだ。
しかしながら彼もまた、決してそれを裏切るために選択をしたのではない。彼はまず謝った。黙っていたことを悪かったと言い切って、それから、それがすべてのためになるのだと言葉を続けた。
成功すれば彼のみならず、彼の家族を幸せにすることもできる。そうした決意であるようだった。
少年にはそれを、とどめることができなかった。
もう少しばかり幼くあったころなら何も考えずに、行かないでくれと手を伸ばすことができていたかもしれない。しかし彼がそうした決意をするにまで至っていたのと同じ、少年もまた、そこにある彼の思いを無視することなど出来ぬほどには成長していたのだ。
少年には彼を、とどめることなどできなかった。
彼は笑っていた。それは決して望まぬ選択ではなく、きっと間違った選択でもないのだと、言葉なくして表してみせる。
少年を攫うもっともに彼らしい、風のような笑顔が保たれていた。まだすぐ傍にいるはずの姿が、遠く、どこか大きな舞台の上にでもあるかの様にして感じられる。きらびやかな錯覚だった。例えばそれなりにはよく、騒がれていたように思う。そうして彼についてを、それなりに知っているつもりでいた。
現実には必ずしもそうではなかったのかも知れない。いったい何を解った気でいたというのだろうか。
そうした自分自身へのうたがいから少年を救うのもまた、目の前の彼という刹那の風であった。
少年は、彼との約束を確として守った。彼のその『決意』に気付かぬふりを貫いた。
やがて季節が移り、過ぎ、彼の選択がついに周囲へと明かされた際にも、まるで初めて聞き知ったかのような表情を押し通して続けた。そのほかのやり方が見つからなかったのだ。
そして多くの声が彼に、考え直せと説得をしたのだが、少年だけは決して一度も首を振ることをしなかった。表立っての後押しを出来たというわけでもない。ただ、とどめずして信じるものであろうとした。
それが彼への答えであった。風のような笑顔を愛する少年にとって、その成功という道筋とは、願いでありまた確信にも近くあった。だからしてこそ少年は、彼の笑顔を絶やさぬようにと、傍にあって出来うる限りに自分も微笑んでいるようにした。
彼は言った。良き意味においての最高の『仕掛け屋』になろうというのだと、友人たちを前にして言い切った。ステージを見に来る誰もが、笑って惜しんで恋をして帰ることのできるような星になってやるのだと宣言した。
少年はそれに微笑んで頷いてみせた。それが彼に対しての賛成の証になろうと、考え続けためである。
強いてそれでも思うところ、と言おうものなら、ひとつだけ。
きっと星にも増して風が似合う。それだけが少年の抱く、彼に対してただ告げておきたい事柄であった。
それも結局には口に出すことができず、見送りの場に至ってもせいぜい気ィつけて、とぐらいにしか言えずに、挨拶としては幾らも足りなかったかも知れないのだが、思えばそこには多々の想いを含んだものだと記憶している。
少年はやがて卒業と入学とを繰り返した先に、家の商売を継いだ。
そんな中での新たな幸福の数々は常に、何処かにおいて寂しさを伴った。他の友人たちと思うところを付き合わせるような機会はなかったのだが、かつての少年は個人としてどうしても、いつまでも彼という存在を完全には忘れることができなかった。
忘れることだけは、できなかったのだ。
それであるから、若くしてきらびやかなステージの上に注目を集める『星』を見た時、印などなくとも気付かずにはいられなかった。
そこには風が、信じた通りの確かな栄光を掴んで立っていた。
少年はようやくにして満たされるに至る。
きっとその姿を目の前にした誰もが、抑えのきかない感動によって攫われていったことだろう。それは喝采となり表れてどこまでにも広がっていく。モニターの中きらめく風は、それは何より鮮やかに瞬き、天の高くを舞ってみせた。