幾人もの立派なスーツ姿が、島にまでやって来ては彼に対して、いっそのこと羨ましいほどの誘い文句を乱舞させた。
まるで泣きつくかのような営業を仕掛けてきた者もある。
そうでありながら応えは、何ごとに向けても平等にして変わらずにあった。
誰しもそれを咎めはしなかった。つまるところ、彼自身がきちんと結論を出した上での拒絶であるからだ。
締め出されてなおも食い下がろうとする人々を相手には、剣山くんが随分と奮闘をしていたように思う。
実にほとんど手を貸せなかったことが申し訳なくてならない。
なにせ僕もまた、目前に控えた卒業の準備に追われていた。
一度だけ。
冗談の程度に、問いかけてみたことがある。
「アニキはプロにならないの。だってさ、あんなにたくさん欲しがってる人たちがいるっていうのに」
「なに言ってるんだよ」
彼は大人びた笑顔でもって即答をなすのだ。
「俺がそんなところへ行って、そうしたら誰があいつの背中を護ってやれる?」
僕はそうだね、と言葉でだけ応えて、頷くでもなければ息をつくでもなく、思案する。
十代のアニキは。
『あの事件』ののちに認識を固定した、ようだった。
僕たちとはかけ離れた生き方をしてきたのであろう、見るからに強靭たる肉体を抱く、彼のことを。
やさしくて繊細で、それでいて強がりで、他人のために、自分自身にばかり厳格な男なのだとそんな風に感じているらしい。
実際のところ例えばどういったやり取りがあったのだろうか、それは殆ど解らないんだけれども。事実、そういった雰囲気に関しては誰しもが首をひねっていた。
だけども後から考えてみると、僕にはほんの少しだけそのことについてが理解できるような、気のしないでもない。
つまり。
彼とアニキとには、どこか。もっと奥の奥の方で、重なる部分があるのかもしれないとか。
いずれ卒業の日を終えたら、アニキは、この国を離れて行ってしまうのだ。
同い年であるひとりの男に伴い、傭兵稼業をはじめるのだと言う。
彼らはそういったかたちでもって、つながるための約束をなしたのだ。
あの細い半ば枯れ木にワイヤーひとつ、しかも足首の一本だけを縛ってぶら下がっているのだと知ったとき、ひどい無茶をする男だと思った。
なんのためかもよく解らなかった。それがなにかのために成るのだというのであれば、教えを請うてみたいものだった。
あの重く厚い鉄の扉を、いくつかの道具とその両腕だけでもって支えようとしているところを見たとき、ひどい無茶をする男だと思った。
なぜそんなことをしてくれるのかもよく解らなかった。そして、本当のお別れになってしまったのではないかと感じていた。ひとつの裏切りを通し、彼はあやまちによってかき消されたのだと。
あの熱されて乾く砂漠の上に、降って湧いた修羅場を彼がひとりで引き受けようと叫んだとき、ひどい無茶をする男だと思った。
どうしてそんな風に挑むのかもよく解らなかった。継続する危機といった枠組みから俺たちを追いやるようにでもして、結果的には無事の合流をはたしたものの、そう成せるということをいったい何が約束したであろうか。
あのどこまでも続いていくかのような、薄暗闇の中。
男はひどい無茶を。していたものであろうか。
誰よりも真っ先に走りたがっては、前ばかりを見て前だけしか見られないでいたこの体を、伴うかの様に追っては諌めようとする少しばかりの長身。
よせ、やめろ、冷静になれ。そういった言葉を惜しげもなくこちらへと与えてきながら、同時には振り返って視界を引き攣らせていたのかもしれない。
なぜならばあそこに居たのは、あまりの現実に対していっそついて行くことも躊躇われるという幾人か。現実を押しのけようとして、今にも溺れかけていたこの俺。そしてひとりだけ、追いついてしまった現実に黙して追いつめられているところの、お前が。おぼえている。
その身をはってくれたような姿から、最後のひとこと、俺に対して下した言葉のそのありかたまでも。
今になってみれば、思い返すことは叶うのだ。
やがてお前は相討ちの果て、『俺』の目前から姿を消してしまった。
そうしてしかし遠くはなく先に。おそらく、誰よりも先んじて。
両の瞳を借り受け、手を伸ばした向こうに絶望の海をみた。
男は、ああもひとりきりであった。ひどい無茶をする男だった。
強靭と呼べるだけの逞しい身体を持ち合わせていた。ひどい無茶をする男だった。
殊に闘うにおいてひとりであることを望んだ。ひどい無茶をする男だった。
その現実にかけらの必要性をみとめでもしたならば、すぐさまに。
ほかの誰かしらの、より前へ。
ひどい無茶をする男ではなかったか。
海のそのなかに何かがわらう。
「総てをまもるはずだった」
わらう。
「そうすれば何を失うこともなく、そして失わなかったことになるのだから」
俺の方を向いてはいなかった。
「臆病にも。愚かにも」
よく、知っているはずの声色だった。
「もう、たくさんだ」
その声がそんな風にして、歳相応の物言いをしているところを。
「このままではおまえの、ことまで………… 」
ふるえてすら、いるところを。
はじめて耳に、する。
「『十代』」
向かってきた声色は、ひたすらに冷たくあった。
寒気に震え上がらせるようなものではない。
空虚だ。
抱かれるものなき空虚が、佇んでこちらを見ている。「『十代』」
それは果たして、誰のための名であったものだろうか。
こうして構え合う機会とて幾度目になろう。
片腕にはディスクを構えて、もう片方の指先に頼る。
三度、目。
二度目の際のことは膜でもかけたようにして、はっきりとは思い返されないのだが。「……『十代』」
繰り返されることばは何時まで経とうと、何の色をも帯びないでいる。
「聞こえてるよ。……なあ、おぼえてるか」
当然のように我が名を呼ぶ響きは伴って経過した分だけ、一度目とも二度目とも、異なっているはずであった。
「初めてこうやって向かい合ったとき、今とおんなじような夜でさ」
それなのに、どうしたものであろうか。
「お前は翔のことを吊るし上げて、本気のデュエルをするための人質だって言ってた。俺にはわけがわからなかった」
思い返されるのは。
「ヨハンと、剣山が見ててくれたんだっけな」
いつの間にやら溶け失せていってしまったはずの、その。
「それでお前は……」
空虚だ。
呼吸とともに抱かれるはずであるすべてのものを、押し殺してしまった。
いっそのこと恐ろしいまでに、自らであることを捨ててしまった両瞳。
『こわい、め』。
「『十代』」
そのときですら、今ほどではなかったかもしれない。
「『十代』。どんなに貫こうとしてでも、絶対はない」
銃の型をしたデュエル・ディスクが可変し、彼の腕へと巻き付いて閉じる。
「得たふりをして失っていく」
十代のそれとは大きく異なる。そして鍛え上げるべくして鍛え上げられた、体躯。
男は、ゆっくりと笑みをうかべた。
「炎は、燃やし尽くすためにある」
その口もとのみに浮かべた。
空虚のままに、浮かべた。
「いずれは灰になる。お前も」
あまりにも何ひとつ抱かれず、それゆえ、嘆き伏せようとしているかのごとくにも見られる。
彼が。
「『お前も…………』」
十代は黙して、自らのためのデュエル・ディスクを掲げた。
近頃になって新しく持ち歩くようになったものであった。彼が一度だけ、お前らしいと零してくれたものであった。
それを除いては何も無かったのだ。
何も。
未だ、見たことはない。
彼が大声をあげて笑うさまも、我を忘れ怒り狂うさまも、縋るように泣き叫ぶさまも。
何も。
そういった彼の緩みを、なにひとつ見たことがなかった。
それを選ぶさ&飽和→オブ十祭様へ投稿させていただきました。4期最中に妄想したオブ十です。
こわい目→こちらも169話後に妄想したオブ十でした。捏造ばかりで恐縮です……!
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