デュエル=アカデミアが異世界へと飛ばされ、それから一夜が明けた日のことである。
 負傷したレイへの処置のためどうしても必要となった薬品を手に入れるべく、アカデミアから数人を選抜して果ての知れぬ砂漠へと踏み出すことになった。
 果ての知れぬとはいっても、異世界にて合流した三沢大地の『外部から飛ばされてきたらしき潜水艦を見た』という証言に基づいての判断である。彼自身は激しい肉体疲労のために残念ながら同行はかなわなかった。
 


 ともあれアカデミアのトップレベルというものは決して伊達ではない。それぞれの経験を活用し、何より兼ね備えた知識と行動力とをもって、弱音も見せぬうちに着実に予測地点へと近づきつつあったのだ。
 ところが目標の目に見えた折り返しの直前、岩の精霊タイタンによる奇襲を受ける事態となる。
 人間の言葉を解するタイタンは自らの縄張りを主張し、一行を侵入者と見なして始末しようとかかってきた。
 はじめに十代が蟻地獄へと陥り、彼を追ってオブライエンが飛び込み、アモンとジムがその命綱を握ることとなった。その上でタイタンの相手はヨハンが引き受け、これをどうにかして撃破する。

 不測の事態は打開されることとなった。潜水艦より必要とされていた薬品を手に入れ、僅かながらに物資を拝借することにも成功した。
 そうして一行は目標分の探索を終え、未だ決して安全であるとはいえないものの、アカデミアへ戻る帰路へとついたのであった。





 ヘンゼルとグレーテルのパンくずよろしく目印に落としてきた発信機、ことアカデミアの電子生徒手帳を回収しながらに、五人の少年たちはもと来た道を歩む。目印は裏切らずに砂上を並んでいたが、アカデミアの姿は影にも見えず、砂漠そのものの広大さを感じさせた。
 先頭を歩くのは、行きにはしんがりを受け持ったオブライエンである。歩数をはかりながらに目印を残す役割を受け持っていたのは彼だった。したがって帰り道には、同じく彼がそれを回収していく。荷物を持ち分けた他の面々はその後に続いた。

 背の方から潜水艦の気配は既に消え、かといって目前にアカデミアが見えるわけでもない、道中である。
 ふと、先頭を保つオブライエンに並ぶ影があった。

「オブライエン」
「十代。どうした」
「さっき、ありがとうな」
「なにが」
「オレのこと助けてくれただろ? 砂ん中飛び込んでさ」
「…………」
 タイタンの仕掛けた流砂に呑み込まれんとしていた十代を、追って飛び込んだのは確かにオブライエンである。
 とはいえあの場合には何より、一番に動くことをできるのは自分であるだろうという咄嗟の判断があったのだ。それのみによって結果を生み出したわけでもない。
「礼なら他の連中に言えばいい。ジムとアモンが引き上げてくれた、ヨハンはモンスターと戦った」
「もちろん、でもオブライエンが助けてくれたのはまた別のハナシだろ。 だから、ありがとうなって」
「とっさのことだ。これからはもう少し慎重になればいい」
「……ごめん」
「……お前が昨日の件を思って、気をはやらせるのも解らないではないが」

 彼の友人でもある早乙女レイが負傷したのは、つい前の晩の出来事である。
 悲鳴を聞きつけた面々が駆けつけた頃にはもう遅かった。原因はアンノウン、傷そのものにしても応急の処置でどうにかなるようなものではない。彼女に同行していたという加納マルタンも以来行方不明となっている。
 意識を朦朧とさせながらにも彼女のなした証言によると、何者かによって連れ去られた可能性もあるということらしい。
 そういった不可解な出来事の続いていく中で、たまたま共に流れ着いてきたらしき潜水艦に薬品の備蓄が存在するであろうというあたりをつけ、それらが本当に実在したということは奇跡にも近しい成功であった。

「オブライエンがさ、軍の潜水艦だったら薬が揃ってるはずだって言っただろ? 本当にそうだった。すげえよ」
「可能性が高かったというだけだ。あとは、運が良かった」
「でもオレだけじゃ、あるかもしれないってことも解らなかった。……あの潜水艦ってどっから来たんだろうな」
「さあな……」
 その件もまた、常識を越えた不可解のひとつではある。潜水艦は明らかに今現在の使用にも耐えうるものだった。
 あるいはひとつの幸運でもあるのだろう。
 実際に、僅かな可能性の隙から光明をもたらしたわけだ。
「あと、さっきのことでまたちょっと解ったぜ」
「解った? なにを」
「やっぱオブライエンって冷静そうに見えてさ、なんていうか情に熱いよな!」
 言い切られて、オブライエンは咄嗟に顔をしかめた。
「馬鹿を言うな。同行者へのサポートは複数でのミッションにおいてまず優先事こ……」
「壁、支えて助けてくれたのも? レイの悲鳴が聞こえたとき、いっしょに保健室から飛び出してくれたのも?」
「……利害の一致だ」
「へぇー」
「茶化すな」
 小さく笑ってみせた十代へと言い返して、それからオブライエンは、ふとゆっくりと付け加える。
「……俺にも、今回の件で改めて理解させられたことがある」
「ええ、お前にも? なに?」
 と、十代が問いかけてから、やや数秒ほどの沈黙が両者の間に流れた。
 次いでようやくオブライエンが返答にかかる。
「…………宙づりの状態で焦らされるのも、それなりには馬鹿にならないということをだ」
 声色は少しばかり小さかった。
「あ、あー……? ああ!」

 オブライエンの言い分を幾度か噛み締めてから認識して、十代は納得した風に首を縦に振った。
 思えばほんの、ついこの間のことだった。十代とオブライエンとの初めてのデュエル。オブライエンは十代を呼び出すため、そしてその実力を最大限にまで引き出すためにと、通りがかった翔を『人質に取った』のであった。
 彼は一戦のほぼすべてを、いつ切れるかも解らないロープによって宙づりにされながらに観戦したのである。

 これについて十代は、ちょうど昨日の保健室においてであるのだが、事情の詳細を聞き出すに至っていた。
 とはいえ『十代を本気にさせた状態にてデュエルを行うことがコブラからの任務であった』こと、そして『デス=デュエルはウエスト校において行われた時点では単なる情報公開型デュエルであって、エネルギー吸収システムについては何も聞いていなかった』こと、その程度のことである。
 それ以上についてはオブライエンが口にしなかった。
 よって『そこから』は十代の知るところではない。
 が、オブライエンはそもそもコブラに対してのスパイでもあったのだ。疑念の抱かれたとき、切り替えて彼への調査を行う心づもりはずっと前から出来上がっていた。
 また、もうひとつ、より慎重にして秘めておくべき事柄が残っている。十代とのデュエルの際、試合を長引かせるために敢えて戦術を突き崩した事実だ。

(……もっとも)
 もう一度デュエルを行うとして、また同じように勝利への道が開けるとも限らない。
 それがオブライエンの結論であった。十代の抱く引きの強さ、逆境に対する抗力は、計算された展開の金網を軽々と超えていく。
 



 何にしろ現状は決して、彼との気易い再戦などを許すようなものではない。
 更なる沈黙を破ってオブライエンは付け加えた。
「お前の弟分には悪いことをした」
「翔、きっともうそんなに怒ってないと思うけどな」
 十代の方は事も無げである。
 確かにオブライエンの思い出す限りにも、翔がその件に対して腹を立てていた様子はない。とはいえ現在のこの状況下では、例え腹を立てていたのだとしても、怒鳴りつけてくるような余裕など持てはしないであろう。
 翔、彼のみならず、ほぼ全ての生徒たちが大なり小なりの不安を抱えている。気楽にしていられるように思われる十代、後ろの方で別のことを話し合っているヨハン、ジム、アモン、彼らとて例外ではないはずだ。
 もちろんのこと、オブライエン自身にしても。
 しかし非常時下の集団において、何らかの知識や経験を持つ者はそれを惜しまず、そして奢らずに行動する必要性を抱くものである。多くの生徒達がその不安を宙に浮かせている現状、動ける者はできる限りに前を向いていなければ事足りるまい。
 不可解な負傷者、唐突な失踪者といったトラブルまでも生じてしまっている以上には、もう保健室でうかうか眠っているわけにもいかないのだ。

 幸いにも学園内には食料の備蓄があり、もっとも重要となる水についても予想に比して若干の余裕が見られる。
 十代をはじめとしたトラブル慣れしている面々のカリスマ性は、三桁にものぼる生徒達の心理をどうにかしてまとめている。
 教諭や職員にしても想像以上に落ち着いたものだった。何より、生徒らのことを気遣おうと努力している姿が見て取れる。

 それからオブライエンはふと、横を歩いている十代へと視線をやった。
 口をつぐんで前方を見据えている。学園への到着が待ち遠しいのであろう。
 道標となる生徒手帳の回収は着実に進んでいたが、しかし未だに校舎の影は遠くにも見えてこなかった。


 十代にしても、よく頑張っている。下手をすれば帰ってこられなくなるかも知れない砂漠への探索に、率先して第一の名乗りをあげた姿には迷いがなかった。
(もうひとつ、改めて理解した。……十代、お前はやはりとんでもない人間だということを)

 モンスターを召還して潜水艦の発射口から掘り進めさせ、外部へと出して、あとは潜水艦の本体ごとを砂の上まで投げ出させる。
 五人そろって艦内をシェイクされる羽目になった、とはいえ確かに見事な脱出劇であった。それにしてもまるで映画か何かのようだ。
 彼はそのために、きっと常識などを計らなかった。
 レイを救うという目的があって、所属の知れぬとはいえ潜水艦の存在という手段があり、そのひとかけらの可能性のために彼は飛び出していったのだ。身を守るべく怯えることすら忘れ、一切の打算も抱かなかったことだろう。
(……勇ましくも危うい、か)
 それはきっと多くの人間が憧れを抱くのであろう、ヒーローと呼ばれよう姿のそのものである。だとすれれば十代、彼が起こしたのは正に英雄の奇跡であろうか。
 勇ましきならば数多の人間が歴代にあらわしてきたことだろう。しかしながら特にして英雄と語り継がれていくのは、危うきに怯まず乗り越えて望みを勝ち得た者、それこそである。
 ならば果たして、彼は。




 
 砂の中からまたもうひとつ生徒手帳を拾い上げ、次いでオブライエンは他の面々へと順々に視線をやった。
 ジムが頷いて返すと、ヨハンがもう少しだなと言って続ける。
 アモンは、さりげなくにもきちんと数えていたのであろうか、残りのだいたいの距離を言い当ててみせた。それを聞いた十代が急ごうとせかすので、迷ったら元も子もないのだと念を押してから、また改めて先頭として歩みを進める。

 その身の内に消えない焦燥をくすぶらせているようだった。
 できることならば誰よりも前へと出て歩みたい、いや、今すぐにでも走り出したいような気持ちでいるのだろう。
 元より行動力というのは天性のものである。十代の心に刻まれるそれはあまりにも前を向き、望まずでとどまることを躊躇っているのだ。

「オブライエン。早く行こうぜ」
「……あ、ああ」
「ワッツ? 疲れてきたのか」
「拾うの、おれが代わるか?」
「いや、大丈夫だ。ヨハン、お前こそデュエルをしたばかりだろう」
「君だって病み上がりなんだろう? 無理はないようにね」
「それこそお前もだ、アモン……十代もな。俺たちは焦るべきではない」
「そうだね。もうすぐアカデミアが見えてくるはずだ」



 
 行動するということにおいて十代は、それは非常に優れている。積極性を持ちながらに結果をも伴わせる。
 しかしながらそこへ伴う危うきを、彼自身は一体どのようにして捉えているのであろうか。
 果たして少しでも補い、支えてやることは可能であろうか。

(……俺が、それを? そうしたいのか、俺は)

 オブライエンはそもそも、単独での行動において秀でた駒である。したがってどこへ対してでも、根を張るような選択というものを、しない。
 はずであった。
 それが、そのはずが、ただ一人の人間に対して『伴うことが出来るのならば』などと。

(人を惹き付ける……お前の力か、十代。俺までもがそれに引き寄せられているのか)

 これが彼とのあるべき出会い、自分が彼のために成すべきこと、なのであろうか。
 そして惹き付けられているのはオブライエン自身のみではない。
 この場に在る全員、いや、それでもまだ足りない。






 そこまできてオブライエンは、敢えて思考を打ち切った。
 学園への到着が近い。そうでなくとも、一応はこの場における先導役を担っている身だ。
 ヘンゼルとグレーテルのパンくずは鳥の糧になったというが、精密機械である生徒手帳は幸いハーピィレディなどにつつかれることもなく、黙して砂中の合図となってくれている。


 誰にも立ち止まることが出来ぬというのであれば、そのためには歩み方についてを考えておくべきだ。
 確かについて歩いてきてくれる四人の気配を確かめて、オブライエンは、アカデミアの影がせめて自分の視力の内に届いてくるときを待った。
















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