それなりに広いサロンの内に、それでも収まりきらないほどの声が交差してやんややんやと騒ぎ立てている。
宴のようなもの、いや、まさに宴会であった。夜を通して行われることも珍しくはない。
そもそも『彼ら』には時と場合というものへの関心が無いのだ、というわけでは決してないのだが、少なくともその『部屋』の内側への認識については無法地帯とするような感覚にも近しい。
元より彼らは、ひとの目には見えないものであった。そして聞こえないものでもあった。したがって関心を向けられるべく対象ではなく、だからして咎めるものもない、はずであるのだ。とはいえ本当にその通りであったとしたならば、この『部屋』の内側はもう少しばかり大人しいものとなっていたことだろう。
少なくとも、殊に『彼』がそうであったのならば。
『ごめんよ』
少年がつり目を伏せ、弱々しく頭を下げてくる。
『素面なら聞いてくれない人らじゃないんだけど、ああまで酔っぱらっちまったら……やっぱりだめだ』
「精霊も酔っぱらうものだと聞いて以来、水をぶっかけてやれないのが歯がゆくてたまらん」
『じきに寝こけて解散するだろうからさ』
「もはや俺ほど耳栓の類いに詳しい男もないだろう、少なくともこの学校ではな。まったく」彼らのその、騒がしさを共有することのできる人間は驚くほどに少なかった。
万丈目は浅くため息をつく。
寝付きの良い十代は大変だなぁとひとごとのようにしているし、ヨハンはまだ同情してくれる方なのだが、彼の部屋は本来ブルー寮にあるもので夜通しの喧騒を分かち合うほどではない。万丈目準の持ちカードのうち幾らか、枚数にして、少なくともカードパフォーマンスを行えるほど。そこに宿る精霊たちのやかましさといったら半端なところではない。
まるで、長いあいだ暗闇でもがいてきた時間を取り戻すかのように。
しかしながら音頭を取っている、彼らは例外であるはずなのだ。
黒サソリ盗掘団。古井戸の底に投棄された弱小カードの化身ではなく、『おつとめ』に敗れたいわゆるプロの盗賊団である。
ある者は刑事として。ある者は寮管として。ある者は警備員として。ある者は保険医として。
そしてある者は、いち生徒として。
『それ、宿題か?』
「そうだ。どうせ十代あたりはやらずに寝こけているのに違いない……ふふ、ははは。明日の朝、慌てている顔が目に浮かぶようだ!」
『どうかな。翔……は、もう寮が違うんだっけ。いつも見るけど』
「何にしろあいつめデュエルに熱中したら最後、課題のことなんか忘れちまうからな」
『だから教えてやるんだ?』
「ついでだ! ……もちろん写させてはやらんぞ、ためにならないからな」
『万丈目ってまじめだよなぁー』
「万丈目さんだ」
彼、逃げ足のチック、はかつてその籍をレッド寮へと置いていた。正確にはレッド寮に所属するいち生徒となることで、不自然なくアカデミアに侵入し、十代に近づくことのできる身分をも作り出していたわけだ。
十代の隣室を寝床とすることに成功した彼は、そそっかしい性分の振りをして幾度も十代の部屋のドアを開いた。そうすることによって十代から、当時そのルームメイトであった翔や隼人からにしても、ごく身近な人間としての印象を勝ち得たのである。とはいえそれも二年ほど前、万丈目や十代がまだ一年生であった頃の話だ。
その後にチックも含めて黒サソリ盗掘団らはカードの中へと封じ込められ、まとめて万丈目の部屋の居候となった。
年度が進む頃には大徳寺が寮から姿を消し、隼人も新しい道を歩んで、レッド寮には新たに新入生のティラノ剣山が居着くようになる。白の結社の騒動もあった。ジェネックスも開催された。
そうしたとにかく様々な出来事を伴う一年半ほどを経て、万丈目たちは三年生へと進学し、今度は留学生のヨハン=アンデルセンがレッド寮の新たな常連として加わっていたりする。
それがチックにとって、精霊たちにとってもなかなかに大きな出来事であった。万丈目が白の結社によって洗脳された件やジェネックスにおいて優勝した件などもそれぞれ重大な出来事ではあるのだが、それらとは少々ベクトルが違う。
彼もまた、カードの精霊の姿を認識できる人間なのだ。
デュエリストの才者をさらに選り抜いたアカデミアにおいてすら、それを為せるということはひどく珍しい。本校のみについて考えるのならば、それでも数年でようやく片手に足るかという程度になるだろう。もっともそれにしても、精霊達の生活に多大な変化を及ぼす事態へ至ったわけではない。強いて言うなれば仲間が増えたのだという程度で、相変わらず黒サソリ団は精霊としての気ままな日々を送っている。
二年前から変わらずだ。めでたければ何でも大騒ぎを起こす。
それに伴い、同じく二年前から変わらずのことで、チックは誰よりも万丈目に気を遣った。
もちろんのこと誰もが万丈目を主として気遣ってはいるのだ。しかしたとえば万丈目の機嫌やら体調やらなどをさりげなく読み取り、他の連中へと伝えておくことなどは大抵チックの役目であった。
実際のところ万丈目に近しい、といえばまずおジャマ三兄弟の存在があるわけなのだが、彼らによると万丈目いわく「お前らが気のきいたことをするだなんて気味の悪い」とのことらしい。
確かに、必要のためとはいえアカデミアの生徒として生活した期間のあるチックは、その立場に伴う苦労を少なくともそれなりには知っている。
ほんのひと時のことであるとはいえレッド寮所属の同級生として、万丈目とは同じ糠の沢庵もとい同じ釜の飯を食った間柄でもあった。
「お前も元アカデミアの生徒だったら、ここで勉強のひとつでもすればどうだ。参考書なら貸してやらんでもないぞ」
『おれ、ほんとは別にデュエリストじゃないからな。お頭やみんなは生徒の役をできる歳じゃなかったってだけでさ」
「……アカデミアでの生活は」
『ん?』
「貴様にとって、しょせん単なる『オツトメ』か」
万丈目の瞳がチックを睨みつけ、光る。
『……いいや』
受けてチックは、動じた様子もなくにただ首を振った。
『楽しかったさ。毎日、部屋を間違えるフリして十代たちに笑われるのも悪かなかった』
「奇特なヤツだな」
『けど、いつか終わるんだってことだけはいつだって解ってたよ。おれだけじゃない』
言い切ってから微笑みを浮かべる。
ザルーグ、ミーネ、クリフ、ゴーグ、そしてチック。黒サソリ団は五人でひとつのチームだ。
年齢などは問題にせず、立場を越えて常に共通した運命を認識する。判断とそして信頼は決してひとりのものではない。
はじめにザルーグが覚悟をもって宣言した。
誰ひとりとて反対するものはなく、それは五人の覚悟となった。
『失敗すりゃあ終わるどころじゃないってこともね。……けど、だから、おれ達をまとめてここに置いてくれた万丈目には感謝してるよ。本当に』
「…………万丈目さん、だ」
チックの言葉へと言葉をもって返す代わりに、万丈目はふいと横を向いた。
やや治まってはきたものの、未だに幾らも宴が音に聞こえてくる。
万丈目の手元にて課題は終いに近づいていた。
チックは決して彼の『邪魔』になろうとはしない。それは、例えば必要になったとしても、彼へと成すものがもうほかに在るようなことだ。
その代わりにチックは身近な視点から彼を気遣ってやれる。生徒ならではの零すような愚痴に、理解しながら頷いて返すぐらいのことはできる。
「お前、混ざってこなくていいのか」
『もうすぐお開きだよ』
「混ざっていればよかったんだ」
『そう言うなって』
「ふん」
向き合う先で万丈目の表情は、微かながらにも穏やかな笑みをたたえていた。それを確かめてチックもまた笑顔を伴う。
多くの人々にとっては、見えることのない姿。聞こえることのない声。
それでも今、こうして確かに彼のところへは届くのだ。
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