ありがとう。
すまなかった。
いくつもの言葉は確かにこの口から出ていくのだというのに、まるでひとごとのようであった。
例えばどうした時に紡ぐのだったか。
すまなかった。ありがとう。
ひどく不思議だ。
まるで忘れてしまっていたかのようにも感じられる、そうでありながら、気がつけばまた外へと形をなして出ていくものたち。
どうやらこの体の中、かろうじて何処かには、そのための引き出しが残されているようだ。どうして、ありがとう。
どうして、すまなかった。
そこに意味の抱かれなかったことなど無いのだろうが、何であろうと、いつかはどこかへ遠ざかっていってしまうのだろう。
そして、さよなら。
今日そこにあったものが、明日もまたそこにあるとは決して限らない。
そういうことを知っているもの同士の間では、わざわざ言葉にすることもなかったのだが、いつでも解してはいたような気がする。
もしかすれば、もう声を交わすこともない。
もしかすれば、もう一秒の先すらもないのかもしれない。
どこかで、はじめまして。
そしていつか、今すぐにでも、さよなら。
「また、あした」
新しく『誰か』による声色が、ふいに耳の奥の方へと向けて駆けた。
「また、あしたな!」
また明日、今日と同じところに集まろう。
また明日、さっきの話の続きをしよう。
また明日、どこでもいいけれどどこかへ行こう。
また明日、今日やらなかったことをしよう。
そしてまた、その次の明日のために、ここへ帰ってこよう。
その言葉はやはり引き出しの内のどこかにあって、けれどもおそらく既に埃をかぶっているのではないかと思う。
抱かれる意味合いならば理解してはいる。
またあした。
誰とて保証をしてくれることのない何かを、今ここに誓うもの。
誰の知ることもない場所へと、繋がる道を開こうとするもの。
この場所はいま、平穏にして安らかだ。
けれどもそうではない時が、決して無かったわけでもない。これからにもまた、或いはそんな日が来るのかもしれなかった。
すべてのものには等しく『約束されない』何かしらがあるのだろう。
意識をしようとも、しなかろうとも。いったいどちらに入るのだろうな。
ここにある誰もが。もしくは、俺が。けれども例えどちらであろうと、きっと心から、お前は。お前たちは。
「……ああ、また、あした」
考えてみたならばこれもまた、実に不可思議な生き様になるのではないだろうか。
同じところから出かけて、同じようにして懐かしみ、そしてまた同じところへと戻ってくる。
誰かが自分を待っているのだと知りながら、一方で誰かのことを待って呼吸するのだ。
こうして見る間に紡がれていくものがある。
明確には保証されることのない何かを、いくつもの声へと約束するための言葉。
すまなかった。
ありがとう。
さよなら、過ぎながらにその向こう側へとのびていく、いま。
オブ→十代 にかぎらず
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