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ほぼまったくの住人をなくしたレッド寮、そのささやかな個室へと灯るあかりは、今やたったのひとつのみである。
そうしてそのたったひとつですら、夜ふけた現在の光景の中に開いては見えぬようであるのだった。
まるで風すらもが息を殺しているかのごとく、ひどく静けき夜だ。
しかしそれでもオブライエンは、迷うことなしによく知った『たったひとつの』扉へと手をかけた。
すんなりと開く。錠はどうやら、施されていない。
「よう」
そこへ先んじて声を発したのは、部屋の内側の方に在る人影であった。薄暗闇の内すぐにでも、いずこかへ溶けいってしまいそうにして浮かぶシルエット。
「どうして解ったんだ? 俺がここにいるってこと」
楽しげにも問いかけてくるその音色へ、オブライエンは小声をもって応答する。
「さあな」
静寂が爪痕によっては傷つくことのないように。
すぐにも後、はじめの音色は穏やかな微笑をこらえた。
そうしてから灯火つかぬ夜のまま、そっと、手招きをする。
人の気を感じもさせぬ深き森、アカデミア本校の学び舎に隣り合うそこへと、灯されるあかりなどはまさか滅多に見られない。
そうした中でたったのひとつ、夜ふけた現在の光景へとそれこそ浮かんででもいるかのように、佇んで黙する人影があった。
風のなだらかに葉をうつ、ゆるく静けき夜だ。
土を踏んで入ったオブライエンは、迷うことなしに『その』、よく知った存在へと近付いていった。
人影がこちらを振り向く。心得たかのようにして、警戒の色はもたない。
「よう」
やはり先んじて声を発したのは、その接近を迎えた方の人影であった。薄暗闇の内いまにでも、いずこかへ溶けていってしまいそうにして揺らぐシルエット。
「どうして解ったんだ? 俺はここにいるってこと」
楽しげにも問いかけてくるその音色へ、オブライエンは小声をもって応答する。
「さあな」
静寂が足跡によっては荒らされることのないように。
すぐにも後、はじめの音色は柔らかな微笑をこらえた。
そうして灯火わすれた夜のまま、そっと、手招きを、する。
音をたて流れていく湧き水のそば、獣の呼吸ばかりを憶えてきたであろうそこにおいて、ひとつだけの灯が焚かれている。
夜営の為として熾された、炎。傍らには同じくたったひとつだけの人影が、何ひとつ動じるようなことも無くに座していた。オブライエンはそうして、自らの両の瞳は閉じさせておきながらに、何かしらをおもっている。
何らかを、予感している。
もう少しだ。おそらくは、あと、もう少しだけ。
やがては彼を除いて鼓動のなき木々の間、放たれたかのように割り込む音色が、ひとつ。
淡々として主張することを続ける人工の鳴きごえ。
着信の合図。
ふたつ繰り返されたところまで確かめてから、迎え受けるためのボタンへと親指を押し付けた。
「……どうした」
『よう』
「ああ」
『どうして解ったんだ? 俺からだってこと』
「お前からしか、かかって来ないようになっている」
『そうなのか。よかった』
「何がよかったんだ」
『話し中だってことがない。急いでたって、待たされる必要もない』
「……たまたま、出ないでいるかもしれないだろう」
『それってきっと余程のことだぜ』
そうだろ、と。
楽しげにも問いかけてくるその音色へ、オブライエンは小声をもって応答する。
名を口にして呼ばずとも、違えるはずがないのだ。
静けき夜半である。聴覚のうちには、彼ばかりが繰り返されていく。
深きこの場所は今、彼とは異なった時を刻んでいるものであろう。
海などを挟んでそれなりに遠くある。ただ。
今はただ、ここに、それだけのことであった。
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